秋葉街道 塩の道とは?
塩の道とは?
最長最古のルート
塩の道(しおのみち)というのは、その昔、塩や海産物を内陸に運ぶのに使われた道の
ことを言います。
また反対に内陸からは、山の幸(食料に限らず、木材や鉱物も含む)が運ばれた道でも
ありました。
塩の道は全国各地にあり、特に中部地方の連絡線に多くあります。
浜松を通る塩の道は、相良を起点としていており、掛川や北遠(遠州地方北部)を
通過し、信州の塩尻に至る、延長約230㎞のルートです。
なんとこのルートは、縄文時代から行き来していたということが遺跡跡からも
わかっているそうです。
この相良からのルートは南塩ルートと呼ばれますが、新潟県の糸魚川から塩尻に至る
延長約120㎞の北塩ルートと合わせると、延長約350㎞で日本列島の中央を縦貫する、
最長最古の塩の道となるのだそうです。
浜松情報BOOKさん提供の塩の道の地図です↓
http://www.hamamatsu-books.jp/alacarte/detail/59.html
”古代にはヒスイや黒曜石が運ばれ、戦国時代には三方ケ原の戦いの侵略路として
武田信玄が青崩峠や兵越峠を越えて浜松城へと向かった。
そして近世には秋葉山などへ参詣する道でもあったため、この道は秋葉街道とも
呼ばれている。” (浜松情報BOOKより一部抜粋)
ちなみに相良町町役場の塩の道のパンフレットには、当時どのように塩を取って
いたかが書かれています。
”揚浜式塩法といって、満潮面より高い所に塩浜が作られ、原料海水は人力で汲み上げ
砂面に散水する方式が行われていました。
その工程は海岸の砂地を均らし、そこへ海水を汲み上げて来て何回か撒き、乾いたのち
砂を集めて沼井に入れ海水で砂についた塩分を溶き、濃い塩水を釜で煮て塩をとると
いうものです。”
また、現在地名や町名に塩がついている場所は、何らかの形で塩の道と関係していた
可能性が高いと言います。
菊川市の「塩買坂(しおかいざか)」、掛川市の塩問屋が集まっていたという
「塩町」など、、、。
浜松にも「塩町」ってありますよね?
そもそも終点の塩尻という地名も、相良から運ばれてきた塩の終着点を意味しており
そこから更に山あいの村々へと運ばれていった場所だったことに由来するそうですよ。