夜のお菓子うなぎパイ誕生秘話
なぜうなぎパイが生まれたのか?
「夜のお菓子」の本当の意味は?
うなぎパイ誕生のきっかけは?
「夜のお菓子 うなぎパイ」というキャッチフレーズで全国的にも
有名な浜松の代表的なお菓子うなぎパイ。
最近、このうなぎパイをネットで倍の値段で売ったりしている不届き者が
いるようです。
(うなぎパイは、割れやすく発送に不向きな商品だとして、通信販売は
しておりません。)
そこで、今回は春華堂さんのホームページから「うなぎパイ誕生秘話」の記事を
抜粋してお送りします。
これを読んで、転売などをする不届き者に春華堂さんの思いが届けばと思います。
春華堂創業期をささえた甘納豆と昭和初期に発売した知也保(ちゃぼ)の二つが
当時の看板商品でしたが、二代目社長・山崎幸一氏はそれらを超える浜松らしい
商品を生み出したいと苦しんでおりました。
そんな時にある旅先でのこと。
「どこから来たか?」と聞かれた幸一社長は、「浜松」と応えます。
しかし、相手はどこかわからず「浜名湖の近くです」と補足すると、相手が
「あぁ、うなぎの美味しいところですよね?」返されたそうです。
この何気ない会話がヒントとなり、「うなぎがテーマの浜松らしいお菓子をつくろう」
と職人たちと試作をはじめます。
職人たちが思い思いの物を作る中で、当時まだ珍しかったパルミエという
フランス菓子のパイを基本に試作をおこなったものがおりました。
これが、「うなぎパイ」試作第一号です。
夜のお菓子の意味は?
当時は、洋菓子やパイ菓子ですら珍しいなか、魚介類であるうなぎをテーマにした
お菓子などは、他にあるはずもなく、すべてが手作りでありました。
さまざまな試行錯誤を重ねる中で現在の「うなぎパイ」の形状ができあがったのです。
また、実際の蒲焼きさながらにタレを塗るという工夫も施されました。
お菓子ではまず使用することのないガーリックが入ったこのタレは、社内においても
秘伝として、いまもなお、一部の職人のみに伝えられているそうです。
そして、昭和36年、ついに「うなぎパイ」は発売されます。
上生菓子30円、ケーキが50円という時代に、当初うなぎパイは1本15円でした。
ところで、うなぎパイの代名詞とも言えるキャッチフレーズ「夜のお菓子」。
幸一社長が、一家の主が家を空けることが多かった高度成長期時代に
せめて夜には「うなぎパイ」を食べながら一家団らんの時を過ごして欲しいと
いう願いを込めて「夜のお菓子」と名付けたそうです。
精力増強のうなぎと結び付けてあらぬ解釈をしていた人も多かったと思います。
(実は私もそう思っておりました!笑)
しかし、うなぎパイは実際のところ精力増強の話は別として、うなぎパイ6本分に
含まれるビタミンAは、蒲焼き100gに含まれるそれに相当し、元気回復、
夏バテ対策、視力保持などの効果が期待できると言われ、栄養価の高いお菓子としての
一面ももっているそうですよ。
今や浜松といえば、うなぎパイを連想する方も多いと思いますが、このような
秘話があったんですね?