家紋は、いつからあるのか?
家紋の由来について
葵の御紋について
家紋のルーツは、牛車の目印だった?
先日、家の法事がありお寺でお経をあげて頂いた折に、それぞれのお墓にある
家紋に改めて興味を持ちました。
今まであまり深く考えたこともなかった「家紋」について調べてみることにします。
そもそも「家紋」とは、いつ頃からあるのでしょうか?
家紋とは先祖から代々伝えられてきた家を表す紋章です。
おもしろいのは「佐藤」という名字の方が皆同じ家紋というわけではなく、
同じ名字でも出身地や家系・家業などによって様々な種類の家紋が伝わっており
名字は違っていても同じ家紋が伝わっている家も多く存在しています。
縄文土器に文様が見られるように、もともと日本には「文様文化」がありました。
奈良・平安時代になると、朝廷に仕える貴族(公家)達が、自分達の衣服や持ち物に
独自につけた「目印」としての紋が始まりのようです。
家紋のルーツはといえば、いくつかの説があるようですが、牛車に使われていた文様が
転じて家紋になったという説が有力なようです。
当時の公家たちにとって、牛車は自分のステータスである一方、自分の車をいち早く
見つけ出すための目印も必要でした。
そこで自分の牛車に自分好みの「紋」という目印をつけ、さらに優美なデザインで
周囲に権威を誇示した、それが家紋の由来とされているそうです。
日本で一番有名な家紋といえば、水戸黄門の「この紋所が目に入らぬか!」で
で知られるようになった葵の御紋ですね?
徳川家の家紋である「葵紋」は、フタバアオイと言われる植物を家紋としたもので、
京都にある加茂神社の神紋が由来となっています。
この家紋は家康が天下を統一するまでは三河の酒井氏や伊奈氏なども使っていました。
その後家康が天下統一を果たし、暴れん坊将軍として知られる徳川吉宗の時代になると
徳川将軍家と徳川御三家(紀州徳川家・尾張徳川家・水戸徳川家)以外の家が
「丸に三つ葉葵」を使用するのは全面的に禁止されるようになります。
これは徳川家が、朝廷の桐の家紋や菊の御紋に匹敵する権威を持たせようとしたため
だそうです。
だから、水戸黄門の時代には、葵の御紋を見せるだけで「ハハーッ」となったので
しょうか?(笑)