姫街道の由来は?
姫街道という名前がついた諸説について
かつては象も通った姫街道
浜松には、通称「姫街道」と呼ばれている道路があります。
姫街道とは、浜名湖の北側、本坂峠を経由して静岡県磐田市見付町(東海道見附宿)と
愛知県豊川市御油町(東海道御油宿)を結ぶ街道です。
道程は約60キロメートルです。
江戸時代までこの街道は、「本坂通(ほんざかどおり)」と呼ばれていて、
「姫街道」と言われるようになったのは、幕末の頃かららしいですね?
江戸時代後期になり、幕藩体制が衰えてお蔭参りなどの機会に女性が比較的監視の緩い
脇道を通り抜ける機会が増えた頃から、本坂道は姫街道と呼ばれるようになった
ようです。
では、なぜ「姫街道」と呼ばれるようになったのでしょうか?
これもまた諸説あります。
1.女性たちが取調べの厳しい、また危険な渡船もある今切関所を避けて本坂道を
選び多く通行したからという説。
2.今切という言葉が縁切れに通じる不吉な響きがあるからという説
3.東海道のメイン街道に比べて「ひなびた」「ひねた」街道だということから
「ひねたかいどう」→ 「ひねかいどう」→ 「ひめかいどう」となった?
4.東海道を男性に、脇街道を女性に見立てて、「姫」としたという説
お姫様が通ったから「姫街道」だと思っていた人は、「ひなびた街道」がもじって
姫街道になったのが真実だったら、なんか複雑な気持ちになりますねー?(笑)
この街道は主要な道だけあり、過去にいろいろな人も通っています。
徳川家康はじめ秀忠、家光の将軍。また、享保年間に8代吉宗に献上されたベトナムか
らやってきた象も通りました。
引佐峠への急坂に「象鳴き坂」の名が残るのもそのためだそうです。
また、吉宗の生母である浄円院や天彰院篤姫など、姫街道の名にふさわしい人たちも
通りました。
私もよく通る「姫街道」ですが、時には、立ち止まって往時を振り返って
みるのもいいかもしれませんね。