浜名湖 うなぎの養殖のはじまりは?
浜名湖でウナギの養殖は、いつ始まったのでしょうか?
服部倉次郎氏について
浜名湖のうなぎの養殖が全国的に有名になった訳
今日は、浜名湖のウナギの養殖の起源について調べてみました。
浜名湖でうなぎの養殖が始まったのは、1900年(明治33年)のことだそうです。
今から120年以上も前にうなぎの養殖は、始まっていたとは、、。
はじめたのは、服部倉次郎という人です。
服部倉治郎(1853~1920年)は、今の東京都江東区に生まれました。
倉次郎さんの先祖は、もともと深川千田新田にて、隅田川(当時は荒川)等で採れる
白魚や鯉・ウナギを長州毛利家に納めることを主な生業としていました。
四代目のあたる倉次郎は、商売柄、うなぎ・金魚・鯉・鮒などの川魚の生態に明るく
川魚商と並行して、それらの飼育研究を進めていました。
特にスッポンの飼育研究は、その一環として熱心に取り組んでいたそうです。
ある時、商用で汽車に乗って関西方面を向かっていた倉次郎は、窓から浜名湖を見ると、
「ここはウナギの養殖に最適の場所だ。ここでなら、きっとウナギの養殖ができる」
のではと思い、倉治郎はいてもたってもいられず、汽車を降りました。
その足で、今の浜松市西区舞阪町の辺りの土地を詳しく調べました。
そして浜名湖の辺りはウナギの養殖にこの上ない土地であることを確信しました。
それは、次のような理由からだそうです。
1.浜名湖周辺の気候が1年を通じて温暖であること
2.養殖池を造成することの可能な遊休地があったこと
3.当時、浜名湖でうなぎの幼魚(クロコ)が豊富に採れたこと
4.当時、愛知県三河地区が絹織物の大生産地であり、うなぎの餌として
使用されていた蚕蛹が大量に入手できたこと
5.浜名湖周辺が大消費地(東京・大阪)の中間地点にあたり、鉄道も整備され
経済的利便性が高かったこと
そして明治32年(1899年)に浜名郡舞阪村吹上(現在の浜松市西区舞阪町)に
ある土地を購入し、翌 明治33年(1900年)6.5ヘクタールの養殖池を造成、
まずスッポンの養殖を開始します。
しかし、当時のスッポンの市場規模は非常に小さく事業を軌道に乗せることが困難で
した。
そこで、大量のうなぎをスッポンと並行して養殖することで事業の安定と拡大に
成功しました。
倉治郎が成功すると、養殖に取り組む人が次々に現れ、浜名湖は全国的にウナギの
養殖で有名になったということです。