浜松市の名誉市民 17人 その1
浜松市には、現在17名の名誉市民がいらっしゃいます。
浜松から世界へ
浜松市には、現在17人の名誉市民の方がおられます。
今回は、その方々を浜松市のホームページ及び浜松情報BOOKから抜粋して
ご紹介していきます。
川上嘉市 氏
明治18年生まれ
昭和35年7月1日推挙
昭和39年逝去
浜松市初の名誉市民
日本楽器製造株式会社の、山葉寅楠、天野千代丸に続く第三代社長で、
「日本楽器中興の祖」と呼ばれました。
卓越した事業手腕により、今日のヤマハ株式会社の礎を築き上げるとともに、
郷土の産業振興に貢献し、日本産業界にも大きな功績を残されました。
山本又六 氏
明治14年生まれ
昭和41年7月1日推挙
昭和55年逝去
浜松工業学校長、浜松工業試験場長などを務められ、織物工業機械化の基礎づくりなど
50年余にわたり遠州織物業界の振興に貢献されました。
内田六郎 氏
明治25年生まれ
昭和46年7月1日推挙
昭和49年逝去
浜松市医師会議長、社会教育委員長などを務められ、医学の進歩向上に貢献されると
ともに、社会教育の振興、芸術文化の向上にも尽くされました。
高柳健次郎 氏
明治32年生まれ
昭和62年7月1日推挙
平成2年逝去
浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)に助教授として赴任。世界に先駆けて、
全電子方式のテレビジョンを完成させました。昭和56年、文化勲章を受章されました。
平山博三 氏
明治39年生まれ
昭和62年7月1日推挙
平成2年逝去
5期20年にわたり浜松市長を務め、三方原用水事業、東海道本線高架化、浜松医科大学
誘致など多くの功績を残され、市勢の発展に尽くされました。
本田宗一郎 氏
明治39年生まれ
昭和48年11月3日選定
平成3年逝去
昭和23年、本田技研工業株式会社を設立。内燃機関の研究・特許を通じて
オートバイの生産、四輪自動車への進出を図り、今日の「世界のHONDA」を
築かれました。
熊村昌一郎 氏
明治42年生まれ
昭和58年11月3日選定
昭和61年逝去
熊村長を2期8年、その後6期24年にわたり天竜市長を務め、市制施行に至る町村合併
並びに市制施行後の地域基盤整備に尽力され、旧天竜市の市勢発展に寄与されました。
秋野不矩 氏
明治41年生まれ
昭和58年11月3日選定
平成13年逝去
石井林郷・西山翠嶂に師事し、新しい日本画の創作活動に意を注がれました。インド
などの海外にも意欲的に創作の場を求め続け、平成11年、文化勲章を受章されました。
内山信一 氏
明治42年生まれ
昭和63年11月3日選定
平成8年逝去
静岡県林業会議所会頭、天竜厚生会理事長、静岡第一テレビ社長など多方面にわたる
要職を歴任し、長年にわたり林業振興、山村開発、障害者福祉の向上に貢献されました。
続きは、明日にします。