浜松 さくら塚伝説
舘山寺町の桜塚伝説に2つの説あり
佐田城落城にまつわるお話
舘山寺町に桜塚というところがあります。
そこに八重桜が植わっていて、その桜は毎年必ず下向きに花が咲いたとか、、。
(現在の桜は、昭和30年に植えられた二代目だそうです)
それには佐田城(堀江城)落城にまつわる悲しい伝説がありました。
しかも、この伝説には2つの説があるようです。
一つは、浜松情報BOOKさんに書かれている説です。
抜粋してご紹介します。
”1523(大永2)年の2月のこと。
堀江勢と、堀江城に攻め入ろうとする今川勢とのにらみ合いが続いていた。
ある夜、堀江城主の養女であったさくら姫が、城内を一人散策していると、裏門のあたりで一人の敵兵の姿を見つけた。さくら姫は彼に魅力を覚え、柵の近くに歩み寄った。敵兵も同様に歩み寄り、二人の目が合うと、互いに笑いかけた。
その夜はそのまま別れたが、次の夜も二人は裏門のあたりで会い、そういった日が幾日か続いた。
1523(大永2)年3月1日の夜、不意に多数の敵兵が堀江城へ裏門から攻め込んできた。安眠していた兵もいた時間だったので、城内に入った敵と戦うのは不利であり、多くの死者を出した。
生き残った者を集め、暗闇にまぎれて城を抜け出した堀江城主は、平松村を見下ろせる小山の上まで逃げた。そして、裏門の守りが薄かったのには城内に裏切り者があるからで、誰か心当たりはないかと聞いた。すると一人の家来が、さくら姫が裏門のあたりにいたのを見かけた者がいると答えた。
それを聞いた堀江城主は怒り、さくら姫を死刑にして逆さに埋め、塚を作った。そして、その塚の上に、一株の桜の木を植えて、彼女の冥福を祈った。
その後、春に咲く塚の桜の花は彼女の哀しい思いが伝わってか、また逆さに埋められたからか、花が下を向いて咲いている。"
2つ目は、話の大筋は同じなのですが、養女ではなく今川勢が佐田城を攻めるため
女隠密を腰元として送り込み落城させたというものです。
恨みに思った佐田(旧堀江)の人々が、彼女を生きたまま逆さまに埋め、その上に桜を
植えたというものです。
真偽のほどはわかりませんが、佐田城は内部からの手引きで落城してしまったことは
共通していますね?
当時の今川勢は、大草山の麓に本陣を置き、現在の浜名湖パルパルのマリンゲート
付近から押し寄せたということです。
今から500年前の出来事です。