なぜ「お好み焼き」というのか?
「お好み焼き」の名前の由来について
浜松の遠州焼きとは?
ふと思いついたのですが、なぜ「お好み焼き」というようになったのでしょうか?
もう答えはなんとなく出ているかも知れませんが、一応お付き合いください。
まずは、お好み焼きの歴史から見ていきます。
これまた諸説あるようですが、一番わかりやすかったお好みソースでお馴染みの
オタフクさんのHPをご紹介します。
https://www.otafuku.co.jp/okonomiyaki/history/past/
オタフクさんによりますと、お好み焼きの原型となったものは、中国で食べられ
いた煎餅(センビン)といって、小麦粉を水で溶いて平らに焼いただけの
シンプルなものだったようです。
それを遣唐使である吉備真備(きびのまきび)が、日本に持ち帰ったのが由来と
言われています。
その後、茶人・千利休は、「ふの焼き」を茶菓子として用いるようになりました。
この麩の焼きは、うどん粉を水と酒でねった生地を薄くのばして焼き、味噌を
ぬって丸めたもので、日本的お好み焼きの原型といわれています。
(これはお好み焼きの原型ではないという説もあり)
そして明治に入り東京で定着していたもんじゃ焼きから派生し、昭和の初めに
東京を中心に流行した「どんどん焼き」があり、屋台や縁日などで販売され
ました。
このどんどん焼きは近畿地方においては、ソースが洋食的で一銭で買えることか
一銭洋食と言われましたが、この一銭洋食が昭和初期にお好み焼きへと名前が
変わっていったようです。
戦後、ネギではなくキャベツを用いた粉物料理となり、客が自分で鉄板の上で
焼いて料理を楽しみ、お好みによって豚肉や牛スジ、海鮮などの具材を加えて
食することから「お好み焼き」の名前の由来となりました。
キャベツを用いる混ぜ焼き式の「お好み焼き」は近畿地方を中心に戦後急速に
浸透し、全国各地で洋食焼き・どんどん焼きからお好み焼きへと料理の名称と
調理法が更新されていきました。
焼き方や具材は地域によって差が見られ、「キャベツ焼き」、「関西風お好み焼
き」「広島風お好み焼き」、「べた焼き」、「遠州焼き」、「カキオコ」、
「ねぎ焼き」、「かしみん焼き」、「ちょぼ焼き」、など、様々な様式や具材の
お好み焼きが存在しています。
全てはご紹介できませんが、地元浜松を中心に食べられている「遠州焼き」という
お好み焼きのひとつをご紹介します。
遠州焼きとは、小麦粉、卵を使ったお好み焼きの生地に特産のたくあんのみじん
切り、紅ショウガ、ネギを混ぜ入れて薄く焼き上げ、しょう油やウスターソース
で味付けしたものです。
キャベツ、豚肉やイカをいれることも多く、鉄板で両面を焼き上げた後、
二つ折り、または、三つ折りにし、醤油を塗り、上からサバやアジのかき粉を
まぶします。(現在は醤油に代えてウスターソースを使うことが多い)
私の子供のころは、これがお好み焼きだと信じていましたから、県外で
初めてお好み焼きを食べた時に「沢庵」を入れ忘れてるのかと思い、
それを指摘して恥をかいたことを覚えています。(笑)