浜松 過去に起こった大地震は?
浜松に大きな被害をもたらした大地震は?
東南海地震から78年
ここ数カ月?日本各地で結構大きな地震が相次いで起こっています。
何となくイヤーな予感がしているのは、私だけではないでしょう。
それにに追い打ちをかける気は毛頭ありませんが、注意喚起をする意味でも(?)過去に
浜松に大きな被害をもたらした地震について調べてみました。
古いところでは、715年遠江国地震などが記録ではあるようですが、詳細が
わかりませんので省略します。
ある程度記録が残っている主だったところでは、、、(今から524年前)
◆1498年9月20日 (明応7年) に起こった「明応地震」 からでしょうか?
マグニチュード:8.2~8.4
震度:5~6(村櫛、宇佐見)、6(舞阪、三ヶ日、佐久米、津々崎)
津波:6~8m (舞阪)、3~4m (宇佐見、佐久米、津々崎)
被害:舞阪地域が津波により、約300戸が流失するなど大きな被害を受けた。
この地震の津波により浜名湖に今切(海と通じている部分)ができた。
雄踏・三ヶ日地域でも多くの家屋が流された。
◆1707年10月28日 (宝永4年) (315年前)
「宝永地震 」
マグニチュード:8.4
震度:6~7(旧浜松市地域)、6(旧舞阪町地域)、5~6(旧水窪町地域)、
5(旧細江町地域)
津波:5~6m (気賀)、3~5m (舞阪)
被害:静岡県全域に被害あり。
浜松で潰家71戸、半潰家29戸、大破損家52戸があった。半田村でも潰家51戸。
そのほかの家は大破した。地盤の沈下、地割れがあり、また砂・小石が水とともに
噴き出した所もある。
この時、浜名湖の今切の幅が広がった。
◆1854年12月23日 (安政元年) (168年前)
「安政東海地震 」
マグニチュード:8.4
震度:7(旧浜松市、旧春野町地域)、6(旧舞阪町地域)、5~6(旧浜北市、天竜市、
水窪町地域)、5(旧雄踏町、細江町、龍山村、佐久間町地域)、4~5(三ヶ日町)
津波:5.6m (舞阪)、3~4m (弁天島)、2.5m (一里塚)、3.9m (篠原)、3.7m
(坪井)、3.2m (馬郡)、1~1.5m (気賀)
被害:静岡県全域に被害あり。入野村では全32戸潰れ、死者1名。
小松村全300戸余中、100戸余が潰家。浜松城の門1つ角矢倉1つが落ちた。
気賀関所にも被害があった。
津波により舞阪では家屋が流され、気賀でも田畑が塩水に浸かった。
◆1944年12月7日 (昭和19年) (78年前)
「東南海地震 」
マグニチュード:7.9
震度:6~7(旧浜松市地域)、5~6(旧舞阪町、雄踏町、引佐町地域)、5(旧浜北市
地域)、4~5(旧三ヶ日町、天竜市地域)
津波:0.6~1m (舞阪)
被害:浜松市中央で全壊198戸、半壊406戸、曳島地区で半壊10戸、白脇地区で
全壊23戸、半壊33戸、富塚地区で全壊7戸、半壊18戸、都田で半壊1戸、小野口で
全壊1戸、積志で全壊5戸、半壊14戸、豊西で全壊1戸、半壊1戸、笠井で全壊2戸、
長上で全壊4戸、半壊19戸、中ノ町で全壊97戸、半壊137戸、和田で全壊14戸、
半壊20戸、飯田で全壊8戸、半壊8戸、芳川で全壊67戸、半壊57戸、河輪で全壊57戸、
半壊97戸、五島で全壊42戸、半壊86戸、吉野で全壊4戸、半壊10戸、和地で全壊5戸、
半壊2戸、北庄内で半壊1戸、南庄内で全壊2戸、半壊12戸、村櫛で全壊82戸、
半壊58戸、伊佐見で全壊3戸、神久呂で全壊3戸、半壊3戸、入野で全壊34戸、
半壊33戸、新津で全壊2戸、篠原で全壊38戸、半壊82戸の被害が出た。
なお蒲地区,三方原では全半壊ともなかった。
また中ノ町・豊西など天竜川堤防沿いの水田と高塚の畑には無数の噴砂・噴水・地裂が
認められた。村櫛の東部埋立地で赤褐色の泥水を噴出した。
南西郊の志都呂・西鴨江・入野・伊場など崖で台地と接する低湿地は、小規模の亀裂・
陥没を生じて家屋被害があった。
(浜松情報BOOK及び静岡県ふじのくにHPから出典)
よく見てみると、最後の東南海地震が起こったのは戦時中のことなんですね?
そして、この地震から約半年後(1945年6月)の「浜松大空襲」によって更に
死者3000人超、建物被害30000戸超という大惨事に見舞われています。
この当時の浜松の先人たちの苦労は想像を絶するものがあったろうと思います。
今の私たちが住んでいられることに感謝しかないですね。