姥ヶ橋の伝説
うばが橋の伝説をご紹介
悲しいお話があったのです
第一通り駅のすぐ南側(遠鉄の高架下あたり)に「姥ケ橋」という橋の欄干跡?が
あります。
本日は、この姥ケ橋(乳母が橋)にまつわる伝説をご紹介することにします。
"何百年か昔、今の田町周辺がまだ田んぼと荒地と沼だった頃、旭町のあたりには
この地方屈指のお金持ちの家があった。その家には4歳になる一人娘がおり、
父母はその娘に乳母を一人つけて宝物のように育て、やさしい乳母に女の子も
よくなついていた。
しかし、ある夏、女の子が突然病気にかかり息絶えてしまった。
女の子の父母は娘を失った悲しみを乳母の所為だと言ってぶつけた。
実の子ではないにしても、自分によくなついていた女の子を失った悲しみは大きく、
乳母は神さまに女の子を生き返らせてくれるようにと拝みながら、池に身を投げて
しまった。
すると、乳母の願いが通じたのか、死んだはずの女の子が生き返った。
一家は涙を流して喜んだが、女の子は乳母がいないことに気付き、乳母を探し始めた。
しばらくすると、乳母が女の子の身を念じて入水したことが分かり、女の子の父母も
自分たちの失言に気付き、申し訳なく思った。
乳母が身を投げてしまったことを知った女の子は泣きながら池のほとりへと駈け、
乳母を何度も呼んだ。すると、乳母の白い死体が草の繁りのかげに浮き上がってきた。
後に、この池を「乳母が池」、橋を「乳母が橋」と言うようになった。
現在では、池は埋め立てられてしまい、橋はコンクリート製となってしまったが、
名前は「姥ヶ橋」と昔のままである。"
(浜松情報BOOKより引用しました)
調べてみますと、このお話はいくつかのサイトにも載っていました。
表現は違いますが、話の流れは全て同じ感じでした。
私も今まで何度も近くを通りかかりましたが、気にしたことはなかったというか
全く気が付かなかったですね。(笑)
こういうお話を知ると、次回からは目に留まるようになるのでしょうね?