2022年03月15日
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鰻丼誕生の秘密?
うな丼の誕生秘話について
うな丼誕生は、船に乗り遅れそうになったから?
うなぎは、遺跡後などから縄文時代には食べられていた(?)とも言われていますが、
庶民の間に広まったのは、江戸時代になってからだそうです。
蒲焼きとして食べられていたものが、なぜ「鰻丼」として食べられるように
なったのか?
この答えを「龍ヶ崎観光物産協会」のホームページから見つけました。
以下、一部抜粋です。
”江戸時代後期に江戸日本橋堺町に芝居の金方(資金を出す人)で、鰻の大好きな
大久保今助という人物がいた。
その今助が故郷である現在の茨城県常陸太田市に帰る途中、水戸街道を牛久沼まで来て
茶店で渡し船を待っているときに鰻が食べたくなり、蒲焼きとドンブリ飯を頼んだ。
ところが、注文した品が出てきたとき「船が出るよー」の声。
今助はドンブリと皿を借り、ドンブリ飯の上に蒲焼きののった皿をポンと逆さに
かぶせて船に乗り込み、対岸に着いてから土手に腰をおろして食べたところ、
蒲焼きが飯の温度で蒸されていて、より柔らかくなり、飯にはタレがほどよく
しみこんで、これまでに食べたどこの鰻よりもうまかった。
その後、どのように「うな丼」が広まったのかは、いくつかの説があります。
一つは、今助が帰りに茶屋に食器を返しながら、その話をし、茶屋が出すように
なったところ、水戸街道の名物になったというもの。
もう一つは、今助が自分の芝居小屋でうな丼を売り出して江戸から広まったという説。”
いくつかサイトを調べてみますと、他にも説があるようですが、
この今助さんが鰻丼を発明?したという説が、どうも有力なようですね?
ここから、うなぎを関東では「蒸す」ようになったのでしょうか??
とにかく、うな丼発祥の地は、龍ヶ崎市の牛久沼ということになりそうです。
龍ヶ崎観光物産協会のホームページはこちらです↓
この記事を書いた人
澤木 規行
三方不動産㈱の澤木です。
社長一人の小さな不動産会社ですが、不動産業に携わって36年間の経験と知識を生かして、皆様のお役に立てるように頑張ります。
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