水島新司先生を偲んで
私の好きな作品や先生のエピソードあれこれ
みんなが愛した野球漫画の巨匠
昨日のニュースで、漫画家の水島新司さんが1月10日、肺炎のため東京都内の
病院で死去していたことが報道されました。82歳だったそうです。
野球をしていた私からすれば、もちろん水島先生の作品は、たくさん愛読してました。
私の好きな作品は、「あぶさん」や「野球狂の詩」ですかねー。
個人的な好みから言わせて頂ければ「あぶさん」は初期の頃、野村監督が選手兼監督
だった南海ホークス時代のあぶさんが好きでした。
(途中から画が漫画チックになる前の”これぞ劇画”?という迫力あるあぶさんの
ファンでしたし、「野球狂の詩」は水原勇気が登場する前までのいろいろなお話が
好きでしたね。特に白虎隊の話などは泣けました。)
ところで、改めて先生のウィキペディアを見てみますと、知らない逸話が
いっぱいありました。その中から私が驚いた逸話を抜き出してみます。
・水島先生自身は、酒が飲めず下戸だった!
・高校時代から江川卓さんと交流があり、大学時代は試合後に先生の自宅で
反省会や試合分析をしていた。
巨人入団時の空白の1日で世間を騒がしていたときには、一時自宅に江川さんを
かくまっていた。
・若手時代、身内で野球チームを作ろうとしたが人数が足りず、たまたまアシスタント
志望でやってきた本宮ひろ志に対して、作品を見る前に「お前、野球できるか?」と
尋ね、「できます」と言われたために即採用した。
・南海ホークスを買収した直後の1988年、当時の中内㓛オーナーとお互いの
マネージャー、秘書無しで一対一で会食した。
中内が社員に「ホークスのことは誰に聞いたら一番よく分かるのか」と尋ねたところ
全員が水島の名を挙げたという。
中内は水島の話を聞きながら、一生懸命にメモをしていたという。
・漫画家を始めてから10年近く野球漫画を描かなかった理由は、打つ・走る・
投げるなど本物に近い絵を描きたかったが絵が下手だったので、一番好きな野球の
ジャンルを描ける自信が付くまで10年かかったためであるという。
・2018年より野球殿堂の特別表彰候補者として名前が挙げられていた。
2020年12月1日、2021年の野球殿堂特別表彰候補者が発表されたが、水島新司本人の
希望により候補者入りを辞退したことが分かった。
漫画界、野球界のみならず世の中に多大な影響を与えた偉大な人だったと思います。
あちらの世界で、野村監督と再会してください。