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2019年07月24日
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国産初の旅客機を開発した浜松人

国産初の旅客機を開発した福長浅雄氏の紹介です。

福長さんの功績は?

福長浅雄氏は、明治26年(1893年)に浜松市飯田町に生まれた。

(南区大塚町生まれという説もあり)

 

飯田小学校には、彼のコーナーや彼の作った飛行機の模型があるそうだから

知っている人には、なーんだと思う人も多いかも知れません(汗)

 

ライト兄弟が、人類初の動力飛行に成功したのが1903年。

このとき福長さんは10歳だったが、ライト兄弟の偉業に大興奮したという。

 

3年後に現在の中ノ町高等小学校を卒業し、天竜木材会社に就職する。

3年で退社して現在の兵庫県川西市で製材所を構える。(まだ16歳!)

 

製材業者として大成功をおさめるが、飛行機への興味が捨てきれず

新進飛行家の伊藤音次郎に弟子入りしたり、所沢にある日本初の

飛行場で飛行機を組み立てていた徳川好敏の助手をしたりして飛行機を

学んでいく。

 

そして25歳のときに、訪問飛行を行う。天竜川の河原につめかけた

約4万人の観衆の見守る中、約12分間のフライトを成功させている。

 

1919年に現在の磐田市掛塚に福長飛行機研究所を設立。

(まだ26歳?)

そして2年後には株式会社福長飛行機製作所を設立して、2年あまりの

歳月と莫大な費用をかけ、ついに国産初の6人乗り旅客機「天竜10号」を

開発する。

 

全長9.4m、全幅12.95m、最高時速180キロ、航続4時間。

旅客輸送事業の許可を航空局に申請したが、当時は旅客輸送に関する法律が

なかったために許可されなかった。

 

1923年の関東大震災の際には、福長機が唯一の輸送動脈となり、情報伝達や

物資の輸送などに活躍した。

 

福長飛行機製作所の財産目録によると、所有飛行機10機、営業開始以来

半年間で製造した飛行機は3機だった。

製作所は1928年の天竜川の改修工事により閉鎖され三方原に移転した。

 

その後は、会社経営に携わり、航空界への復帰はしなかった。

しかし、福長氏のもとで育った鳥居清次は全日本空輸(全日空)創立につくし

今井小松は雲井竜子として有名になり、のちのNHKの「雲のじゅうたん」の

モデルになった。

 

昭和55年(1980年)に88歳で亡くなった。

 

以上、福長氏の略歴をいろいろなサイトから拾ってまとめてみました。

しかし、彼の行動力と若くして事業や開発を成功させる実力には感嘆します。

まさに郷土の偉人ですね!

 

私も若い頃、飛行機に携わる仕事も短い期間でしたが、していましたので

感慨深いです。

この記事を書いた人
澤木 規行 サワキ ノリユキ
澤木 規行
三方不動産㈱の澤木です。 社長一人の小さな不動産会社ですが、不動産業に携わって32年間の経験と知識を生かして、皆様のお役に立てるように頑張ります。 「まじめに、一生懸命やること」がモットーです。 収益物件をお持ちの方や土地活用でお悩みの方は、ぜひ一度お問い合わせください! また、不動産を購入しようかどうか迷っている方、 ポータルサイトや他社サイトでも気になる物件がございましたら、お気軽に ご相談ください。

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