浜松市の戦後復興
浜松市の戦後復興の歴史について
戦後復興記念館について
戦後復興記念館を観に行こう!
前回のブログでは、浜松市における「太平洋戦争による被害」について記事に
しましたが、今回はそこからの復興について簡単ですがご紹介します。
太平洋戦争終結の翌年、1946年(昭和21年)には本田宗一郎が
本田技術研究所を設立。
無線用発電機の小型エンジンを改良し、自転車に取り付けたポンポン(小型オートバイ)
第一号が誕生したのをきっかけに、40社ものオートバイメーカーが競い合うほどの
一大産業を作り上げるまでになります。
スポーツ界では1947年(昭和22年)に、古橋廣之進(現・西区雄踏町出身)が
400メートル自由形で世界新記録を樹立(未公認)。
「フジヤマのトビウオ」として世界中に名を知られることになり、応援する多くの
国民に勇気と希望を与えました。
また日本の土木史における「金字塔」と称えられた佐久間ダムが完成したのが
1956年(昭和31年)。工事着工からわずか3年4カ月という短期間で
完成しました。
高度経済成長を象徴する大事業の一つ、東海道新幹線が1964年(昭和39年)に
開通。
「夢の超特急」の愛称で呼ばれた東海道新幹線の浜松駅が開業したのは、
東京オリンピックの開幕を10日後に控えた10月1日のことでした。
1969年(昭和44年)には東京と名古屋を結ぶ本格的なハイウェイ東名高速道路も
開通し、浜松インター(現・東区流通元町)が設置されます。
交通網の発達は、産業の街・浜松に大きな経済効果をもたらしました。
浜松市は1988年(昭和63年)、国際的な会議や見本市、さまざまなイベントを
活発に開催できる都市として、国際コンベンションシティに指定されるなど、
産業と文化の調和ある豊かな人間都市の実現を目指しました。
1991年(平成3年)には市制80周年を記念して、第1回浜松国際ピアノコンクール
を開催。
第2回からは1994年(平成6年)に完成したアクトシティを会場に3年ごとに
開催され、世界で活躍する優秀な若手ピアニストを多く輩出しています。
2005年(平成17年)7月1日、天竜川・浜名湖地域の12市町村が合併し、
人口80万人を超える県下最大規模の都市、新「浜松市」が誕生。
2007年(平成19年)には政令指定都市へと移行します。
(浜松市公式ホームページより抜粋)
利町には「戦後復興記念館」があります。
ご興味のある方は、こちらをご覧ください。↓
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/c-machi/culture_art/hukkoukinen/index.html