「三哲」に関して
三哲とは?
賀茂真淵の生涯について
郷土出身 賀茂真淵のご紹介
三哲とは、道理に明るい3人の人物を指します。
「哲」は才知に明るくものの道理をよく知ることをいい、古来、中国では数多くの
三哲をあげられますが、漢代の劉向(りゅうきょう)、谷永(こくえい)、耿育(こういく)の
三儒。
劉備、孫権、曹操(そうそう)の三武王、遵業、袁翻(えんほん)、王誦(おうしょう)の
三政家が知られています。
日本でも、1818年(文政1)に僧の立綱が『三哲小伝』を編纂(へんさん)して、
契沖(けいちゅう)、賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)の三国学者を
挙げています。
この中に出てくる賀茂真淵は、郷土出身の国学者として浜松にも、賀茂真淵記念館が
ありますよね?
賀茂真淵の一生についてはこちらです。
賀茂真淵(かものまぶち)は、元禄10年(1697)3月4日遠江国(とおとうみ)敷智
(ふち)郡浜松庄伊場村(今の浜松市中区東伊場)に賀茂神社の神官岡部政信の三男
として生まれました。
11歳の時から荷田春満(かだのあずままろ)の姪で、浜松諏訪神社の大祝
(おおはふり)杉浦国頭(くにあきら)の妻真崎(まさき)に手習いを学びました。
26歳の時、浜松の杉浦国頭家歌会で春満に会い、国学への目を開きました。
31歳のころ上京し春満に入門、詠歌・学問に励みました。
春満没後は江戸に住んで、50歳の時、八代将軍徳川吉宗の次男田安宗武
(たやすむねたけ)の和学御用となりました。
64歳で隠居し、著述と門弟の養成に努めました。
明和6年(1769)10月30日江戸で亡くなり、品川の東海寺に葬られました(73歳)。
(賀茂真淵記念館ホームページより出典)
ところで、浜松市中区元浜町にふぐ料理の店として知られる「三哲」という
お店がありますよね?
以前勤めていた会社の忘年会では、「三哲」さんをよく利用させて頂いてました。
非常におススメのお店だと思います。
聞いたことはありませんが、三哲さんの店の由来は、この「三哲」から
取ったのでしょうか?
昭和38年創業と言われますから、賀茂真淵に因んだかも知れませんね?
今度伺ってみましょう!