将棋 王と玉が、なぜあるの?
将棋の起源から
王と玉が生まれた理由
王は二人いらない?
藤井聡太二冠の活躍によって、将棋人気が高まっていますねー。
私自身は、将棋についてあまり興味はなく、せいぜい駒の動かし方を知っている
程度の人間です。(笑)
娘が小学校低学年の頃に将棋に興味を持ちだしたので、少し相手をしたことが
ありますが、その時、娘に教えてもらうまで恥ずかしながら、王将と玉将があることすら
知らないほどでした。(汗)
そんな無知な私が説明するのは、心苦しいのですが今回は将棋についてです。
将棋の発祥は、これまでギリシャ起源説、エジプ卜起源説など様々な説が
唱えられてきました。
しかし、近年の研究によれば、将棋の起源はBC200年~BC300年の時期に
古代インドにおいて遊ばれたチャトランガという四人制のさいころ将棋であると
いう説が有力になっているそうです。
このチャトランガが西流してチェスに、東流して中国将棋や日本将棋に姿を変え、
世界各国に広まったと考えられておリます。
さて、ではなぜ将棋には、王将と玉将があるのかということですが、
もともと将棋では2枚の「玉将」が使用されていましたが、いつしか「王将」が
使われるようになりました。
(基本的に格上の人が「王将」、格下の人が「玉将」をつかいます。)
玉将が王将へとなぜ変化したのかという理由には、諸説あるようですが、これという
決め手はないようです。
将棋の駒を作っていた職人がうっかり「玉将」の点をつけ忘れたというような
笑い話に近いような説もあるようですが、、。
私の調べたところによりますと、同時代に日本にはタイのマークルックという将棋に
似たゲームも伝わっていたようで、マークルックには「貝」という駒があるように、
世界でも珍しい、財宝を取り合いする(貝は古代、お金の代わりに使われていた)考え方が
あり、日本将棋はその影響を受けて、「玉」や「金」「銀」という財宝の駒が
できたという説です。
中でも「玉」は「最高の宝石」という意味です。
日本最古の駒は奈良の興福寺旧境内跡から出土した駒で、平安時代の1058年のもの
です。「玉将」は出土しましたが、「王将」はありませんでした。
王将ができたのは、室町時代末期の南北朝時代、北朝と南朝という2人の天皇がいた
時代のようです。
「天に二君なし」(世の中に2人の王様がいるべきではない)という考え方から
北朝と南朝は戦をするのですが、そうした時代背景の中、「王様が本当に偉くて、
将棋でもそうでないほうに点をつけて玉ができた」という誤解から「玉将」が
生まれたという説です。
その有力説はともかく、秀吉が王将を考案したという説もあるようです。
ある日秀吉が、「玉では宝という意味になってしまう!王にしろ!」と言い出したと
いう話です。
また、両方とも「王」ではなく「王」と「玉」になった点については、
「双方とも同じ文字では混乱してしまう」という考え方のようで、
「王は二人いらない」という秀吉の思いもあったのではとも言われています。