AI美空ひばりの論争から思うこと
AIに対する違和感の正体は?
人格って、なんでしょう?
昨年末の紅白歌合戦でAI美空ひばりが登場して、いろいろな論議を呼びました。
ある人は、「死者に対する冒とくだ」と言ったり,涙を流して感動する人が
いたりと、、。
私は、正直言って違和感しかありませんでした。
声だけならまだしも、姿はやはり生身の人間とは違います。人間らしくしようと
すればするほど、違和感や薄気味悪さが現れてしまう感じがします。
あるSFドラマがあります。
主人公の女性が、事故で亡くなった夫を、最新技術で蘇らせるというお話です。
故人の過去のメッセージや音声、動画、チャットなどあるゆるデータをアンドロイドに
記憶させて再現させます。
声も姿も、完全に夫なのですが、ある時にその女性は夫の人格を完全に再現して
いないことに気が付きます。
それは、アンドロイドの夫は、いつも楽しげで、鬱々とした表情は一切見せない
からです。
「調子のいい日の彼に似てる」というと、アンドロイドは「人はそういう写真や
動画を残すものだからね」と返します。
そう、イライラして怒ったり、ふさぎ込んだりしているメッセージや動画が
もともとのデータに入っていないから再現されないのです。
ここで、考えてしまいます。
人格ってなんだろう? 私たちは、瞬間、瞬間に頭の中でいろいろなことを思います。
一日24時間のうちでも、言葉に出さない、どれほどの感情や意識、思いを
頭の中で考えているでしょうか?
楽しいこと、嬉しいこと、怒ったり、イライラすること、人を批判したり、
挫折感を味わったり、また、そこから立ち直ったりと、、。
生まれた瞬間から、亡くなる瞬間までのその人の体験や成長や感情を再現することは
不可能です。なぜなら、そんなデータを残せないからです。
若かった頃の親から受けたしつけ、その時代のテレビドラマや映画や歌の考え方も
その時代を生きたものしかわかりません。
友人や先生、先輩、上司、恋人、読んだ本などあらゆるものから影響を受けています。
そして、その周囲の人たちは、その時代、その瞬間にそこに自分がいなければ、
決して出会えなかった人々です。
更にその中から、自分なりに考え選択をして今まで生きてきたはずです。
そこに正解や間違いなどはありません。
その膨大な意識と経験の積み重ねで、今の自分というものがあるように思います。
だから、AIが、薄っぺらなものに感じてしまうのかも知れません。
なぜなら、機械には、そのような人生の裏付けがないからです。
そう考えると、自分の持つ人格とは、世界で唯一、過去にも未来にも2つと存在
しない自分を形作っているものと言えないでしょうか?