浜松宿について
浜松宿とは?
繁盛してた浜松宿
浜松宿と言っても、浜松の宿泊施設のことではありません。
浜松宿(はままつしゅく、じゅく)という、江戸と京都・大阪を結ぶ東海道に沿って、
五十三次の宿場町のひとつとして栄えた浜松宿のことです。
浜松宿は、江戸から数えて29番目、京から数えて25番目にあたります。
浜松情報BOOKによりますと、、、
”1659(万治2)年の道中記に東海道の各宿場の評価が記されているが、浜松宿は
三段階の最高に評価され、1689(元禄2)年の井原西鶴の記録に「町筋長く繁盛の
宿なり」と記され、太田南畝(おおたなんぼ)著の『改元紀行』には1801(享和1)年
の浜松宿の様子が克明に記され、広重の記録では1830(天保元)年に宿泊した際
「浜松御城下町にてまことに繁盛の所なり」と記されている。”
とあります。
とにかく東海道五十三次の宿場の中でも浜松宿は、大層な賑わいがあったようです。
記録によれば、本陣6軒、旅籠94軒と東海道最大規模の宿場であったと言われています。
本陣というのは、大名や公家、幕府の役人が公用で利用する宿泊施設のことですね。
江戸から京都へ向かうルートとしては、東海道の馬込川橋を渡り浜松宿にはいった
ところが新町で、板屋町、田町、神明町へと続きます。
神明町の坂をのぼりきると浜松城の大手門前へ出ます。(当時はこのあたりに
大手門があったそうです)
ここで直角に左折し、連尺町、伝馬町、旅籠町、塩町、成子坂町と続き、
そこから右折して七軒町となります。
通行人を監視する番所は馬込橋に東番所、成子坂に西番所、伝馬町に中番所があった
そうです。
今も残っている町名に当時の名残がありますね?
残念ながら大火や大戦時の空襲の影響で、本陣や高札場の跡が案内板に残っている
程度で、あとは焼失してしまったそうです。
いつも通っている道ですが、たまには往時を想像してみるのも楽しいかも知れません。
浜松公式NOTEもご参考にしてください↓
https://hamamatsu-city.note.jp/n/n2122d4a0f0c9