浜松市名誉市民 柴原力太郎氏
浜松市の名誉市民は?
「ぼろ力さ」と言われても、、
浜松市の名誉市民になっている方々をご存知でしょうか?
「世界のホンダ」の本田宗一郎氏、ヤマハの礎を築いた川上嘉一氏、「日本のテレビ
の父」と言われる高柳健次郎氏、「フジヤマのトビウオ」古橋廣之進氏、そして
最近加わったノーベル物理学賞を受賞された天野浩氏などなどなど合計17名の錚々たる
顔ぶれの方々ばかりです。
こちらです↓
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/hisho/intro/101_01b.html
上の名誉市民の人たちの中で私の目を引いたのは、柴原力太郎氏です。
紹介文には、”明治31年、車馬の往来が極めて困難であった道路状況を憂慮し、
以後60年余の長きにわたり一貫して道路補修の勤労奉仕に一生を捧げられました。”
とあります。
道路補修の勤労奉仕?って、、
もう少し柴原力太郎氏について調べてみました。
「引佐ふれあいビデオ 引佐虹の輪合唱団」のHPが一番わかりやすかったので
こちらから一部抜粋させて頂いてご紹介します。
”柴原力太郎 明治17年引佐郡井伊谷村(現浜松市)に生まれました。
15歳の時から人力車夫として身を立て 大八車で運搬業を営むという職業で人生を
出発したのでした。
悪路に悩まされ 汗にまみれた力太郎さんは 自力でできる社会奉仕として 道路補修を
唯一のものと信じ 一生を捧げる決意をしました。
寝食を忘れ 妻もめとらず 衣服もかえりみない青年、力太郎さんの心情に 周りの人たちの
認識に変人扱いの時はありましたが「ボロリキさん」の愛称で呼ばれるようになったと
聞きました。
自らの生活をかえりみず 生涯を社会の奉仕に尽くし 鍬と大八車の人生を貫いた
力太郎さんの功績は永く後世に残るものです。
『わしは身体さえあればいい 金はいらん 世の中のためになればいい 人のために
尽くすことよ』 と 翁は常々語っていました。”
上のHPはこちらです↓
(最後に紙芝居動画もありますよ)
「一隅を照らす者、これ国の宝なり」という最澄の言葉がありますが、まさに浜松市の
名誉市民に相応しい偉人ですね。