いまさら聞けない「東照宮」について
東照宮とは?
家康の遺言とは?
時々やってます「いまさら聞けない」シリーズ?です。
今回は、「東照宮」について簡単に取り上げます。
東照宮についてみなさんはご存知かも知れませんが、私は知ってるようで実は
よくわかっていなかったかも知れません。
自分の勉強も兼ねて調べてみました。
まず東照宮とは、徳川家康を「東照大権現」として祀る神社のことです。
東照大権現とは、家康の「神号」つまり神様としての名前であり、亡くなって天皇を
超えて神になったということのようです。
徳川家康は、1616年4月17日、駿府城(静岡市)で75歳の生涯を閉じましたが、
その半年前に以下のような遺言を残しています。
「臨終候はば御躰をば久能へ納。御葬禮をば增上寺にて申付。
御位牌をば三川之大樹寺に立。一周忌も過候て以後。日光山に小き堂をたて。
勧請し候へ」
「自分の遺体は駿河の久能山に葬り江戸の増上寺で葬儀を行ない、三河の大樹寺に
位牌を納め一周忌が過ぎてから、下野の日光山に小堂を建てて勧請(神仏の分霊を
迎えて祀ること) せよ」
家康の死後、この遺言通りに事が運ばれましたが、ただ一つ「日光山に小さいお堂」を
建てて分霊を祀れと言っていたのに、天台宗の僧、天海は家康の遺言を無視して
日光山に「改葬」して移転した上「豪華絢爛な建物」にしてしまいました。
今回は、日光にまつわる風水や結界についてとか天海が実は明智光秀で
あったというような都市伝説的なお話にはあえて触れないでおきます。
家光の頃、東照宮の建立を奨励したこともあり、幕府への忠誠を示すために、
諸大名はこぞって藩内の寺に東照大権現(東照宮)を勧請したのです。
これには徳川家への忠誠心を形に表し幕府へアピールするといった理由もあったよう
です。
これによって最盛期には、日本全国で700以上もの東照宮ができたという記録も
あります。
現在でも、全国に100以上(130?)の東照宮が残っているそうです。
家康ゆかりの地、ここ浜松には五社神社、浜松八幡宮、元城町東照宮をはじめ
私が調べただけで14の東照宮があります。
東照宮を巡ってみるのも、一つの楽しみかも知れませんよ。