統計の歴史トレビア
統計のおもしろ歴史トレビア
統計っておもしろい
今回は、総務省統計局のホームページに「統計の歴史トレビア」という
おもしろいページを見つけましたので、そこからいくつか抜粋して
ご紹介したいと思います。
国勢調査以前の人口の調べ方は?
明治4年(1871年)に戸籍法が交付され、日本最初の戸籍(壬申戸籍)が
作られました。全国より提出された壬申戸籍に基づいて刊行されたのが、
「日本全国戸籍表」です。この戸籍により、当時の日本の総人口は、3311万人と
集計されています。
その後、この戸籍に基づいて、出生、死亡、転出、転入など戸籍変更の届け出に
よって人口を推計していました。しかし、戸籍変更の届け出がないまま移動した
人が多くいるなどの問題から、多大な重複があることが判明しました。
大正9年(1920年)10月1日に行われた国勢調査の結果、本来は国勢調査人口を
下回るはずの本籍人口が遥かに上回ったことから、本籍人口・現住人口には
死亡・脱籍等の届出漏れによる虚数がかなり含まれていることが判明しました。
明治時代にいくつ統計があったのか?
明治時代には、欧米諸国に倣い国の状況を示す総合統計書を編纂しました。
明治5年(1872年)に「辛未政表」が発行され、その後に改定が繰り返され、
明治15年(1882年)に現在まで続く「統計年鑑」を創刊しました。
この「統計年鑑」の初号は、土地、人口、農業、山林、漁業及び製塩、鉱山、
工業、通運など21分野で構成しています。
福沢諭吉 実は「統計通」
福澤は日本で初めて西洋オランダの統計書を翻訳(正確には校閲)しました。
この「万国政表」の中で「スタチスチク」を「政表」と翻訳したのも福澤が
初めてです。
福澤諭吉が翻訳に取り組んでいましたが、咸臨丸で渡米することとなったため、
岡本博卿が後を継ぎ、帰国後に福澤が校閲をして出版しました。
他にもお知りになりたい方は、総務省統計局のホームページをご覧ください。↓