ケガが多すぎる人生だったヘミングウェイ
アーネスト ヘミングウェイの事故多発人生
2日続けての飛行機墜落事故
「老人と海」「誰がために鐘は鳴る」などの小説で知られる文豪ヘミングウェイ。
私も最近まで知らなかったのですが、恐ろしいまでに事故に数多く遭っている人生
だったのですね?
釣り、狩り、ボクシング、レスリングそして酒を愛し、生涯で4回も結婚するなど、
ヘミングウェイのライフスタイルは自由奔放で「パパ」と呼ばれて多くのアメリカ国民
から愛された人物です。
その反面、驚くほどの病気、事故、ケガの多い人でもあったようです。
子供時代には転んだひょうしに、口にくわえていた棒が扁桃腺に突き刺さったことも
あれば、釣り針が背中にめりこんだこともあります。
10代の頃、第一次世界大戦への従軍を希望するも、視力検査で赤十字の衛生隊員と
なって戦場へ赴きます。
ある時、近くで砲弾が爆発し、隣にいた兵士が即死。ヘミングウェイも重症を負います。
1928年には9針も縫うケガをしました。酔っぱらって電灯のヒモをトイレのヒモと
勘ちがいして引っ張ったため、ガラス製の重い電灯が頭の上に落ちてきて大けが。
(そそっかしいのか、酒にだらしがないのか、、)
1年後にはもものつけねの内側の筋肉をダメにし、そのまた翌年には交通事故で
腕を骨折。
またマカジキ釣りに行った時にサメを釣り上げたことがあり船内に引き入れたサメを
22口径のコルトで撃とうとした時にサメが暴れて銃が暴発。
手すりから跳ね返った弾が脚に当たってしまい平然と「撃たれるのは慣れている」と
言い、数週間後、彼は機関銃を手に同じ場所に立ちサメめがけて撃ちまくり、
海を赤く染めたという逸話もあるようです。
1944年には車を激突させたり、オートバイから投げ出されて脳しんとうを2度経験。
それでもあきたらず、翌年も無茶な運転をして土手に突っこみ、額が陥没して
膝の骨と3本の肋骨を折りました。
まだまだあります。1950年には転んで動脈をザックリ切り、またライオンの爪で重傷を
負ったこともあるのです。
あるいは同じ海域で二度座礁し、山では山火事にあって重度の火傷を負うなども。
そして極めつけは、1954年1月23日と同年1月24日の2日間で二度の
飛行機事故にあったことでしょう。
(こんな人、いますか?)
1度目の墜落は、小型飛行機が電線に引っかかって墜落。このときは、首の
捻挫程度の軽傷だったそうですが、2度目の墜落は捜索隊に救出された後、
夫妻を救出するために用意された小型飛行機にて起こりました。
その救出機は離陸に失敗して墜落、ヘミングウェイはその衝撃で頭蓋骨を骨折し、
脊髄にヒビが入り、腎臓と肝臓、脾臓が破裂し生死をさまよったそうです。
この年に短編小説「老人と海」が高く評価されてヘミングウェイはノーベル文学賞を
受賞します。
しかし、事故に巻き込まれたことによる健康上の不調から授賞式を欠席しました。
そして晩年は、事故の後遺症による躁鬱など精神的な病気に悩まされるようになり、
執筆活動も次第に滞りがちになっていきました。
1961年7月2日の早朝、散弾銃による自殺を遂げ、その波瀾万丈の人生に自ら
幕を引きました。