鈴木さんのルーツをたどると?
鈴木姓のルーツは?
ルーツは、熊野にあり
浜松市の人口のうち、約6.6%、約5万3000人が鈴木姓だそうです。
何と言っても自動車のスズキもありますし、市長も鈴木ですものね?
その鈴木さんのルーツをたどっていくと、和歌山県海南市の藤代神社境内にある
国指定史跡「鈴木屋敷」に行き着くそうです。
和歌山県新宮市で神主だった穂積氏の一族が鈴木姓を名乗ったことに始まります。
穂積氏から分家した家が鈴木という苗字を名乗った由来は、、
熊野では、昔、稲刈りの後に刈り取った稲を田んぼに積み上げ、それを
「穂積(ほづみ)」と呼んでいたそうです。
そして、積み上げた稲の上に1本の棒を立て翌年の豊作を祈るそうですが、その棒を
「すすき」といいました。
これに神様が天から降り下るときに目印とする木と神がその木に宿ったときに鳴る
鈴の文字を当てて鈴木という苗字を創作したそうです。
ちなみに、東海から関東・東北に広がった鈴木一族はなまって「すずき」と発音します
が、和歌山県や三重県の旧家の鈴木家では現在も濁らずに「すすき」といっています。
鈴木一族は、平安時代末期の1150年頃、熊野から移り住み、熊野参詣道の
入り口とされる藤代神社で案内役に従事していたそうです。
そして、一族が熊野信仰を各地に伝える過程で、鈴木姓も全国に広まったそうですよ。
令和3年10月26日の静岡新聞に載った記事によりますと、浜松市のそれも
篠原町には、なぜ鈴木姓が多いのかということが書かれていました。
(篠原町は、町内の3.5人に1人が鈴木さんだそうです。)
源義経に仕えた鈴木屋敷出身の武将鈴木義家が行方知れずとなり、消息を知ろうと
妻が東北の奥州に向かう途中、橋本宿(湖西市)で夫が討ち死にしたことを知ったと
いいます。
妻はそのまま橋本にとどまり、やがて子孫が篠原に土着して開墾。
明治以降、名字使用が義務付けられると由緒ある鈴木姓を多くの人が名乗ったことから
今でも篠原町には鈴木さんが多いのだそうです。
このように鈴木さんという姓は、由緒ある名字なのですねー。