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2019年07月10日
ブログ

遠州大念仏について

遠州大念仏はいつから始まったのでしょうか?

なぜ浜北区や磐田、袋井で今なお盛んなのでしょうか?

遠州大念仏の歴史は?

今週末(通常7月13~15日)は、遠州大念仏が行われます。

この郷土芸能である遠州大念仏は、いつ頃から始まったのでしょうか?

 

調べてみると多くは、三方原合戦で戦死した武田・徳川両軍の霊を慰めるために

始められたとあります。

しかし、もっと昔から、農作物の害虫や疫病を避けるために始められたと

いう説もあります。

 

元亀3年(1572年)12月22日の夕刻、武田信玄の軍勢約25,000人と

織田信長からの援軍3,000人を加えたおよそ11,000人の徳川家康の

軍勢が三方原台地で死力を尽くした攻防戦が始まりました。

 

結果は、皆さんご存知のように徳川方の大敗に終わり、夕闇の中を浜松城に

逃げ込みました。

徳川方は、反撃に転じるために一計を案じました。

 

犀ケ崖に武田軍を追い落とそうと、崖に白い布を張り、丈夫な橋が

架かっているように見せかけました。

 

更に油断させるために浜松城近くの普済寺に自ら火を放って浜松城炎上と

見せかけておいて武田の陣営背後から鉄砲を撃ち込み、織田信長の援軍が

来たと思いこませ慌てる武田軍を、白い布がかかった犀ケ崖に追い落としました。

 

合戦の後、雨の夜などに犀ケ崖において刃の音や鬨の声、わめき叫ぶ声が

現出しました。また、付近を行き来する人が「かまいたち」の難にあったり

「いなご」の大量発生により農作物が食い荒らされたり、戸ごとに病人が

続出するようになり、住民は「犀ケ崖のたたり」だと一大パニックになりました。

 

それを聞き及んだ徳川家康が、鎮魂のために念仏回向を始めたということです。

それが遠州一帯に広がっていったものだそうです。

 

なぜ浜北や磐田、袋井で大念仏が盛んなのか?

江戸時代になると、次第に念仏が派手になり、各組が競い合うようになりました。

過熱した組がいがみあって制限令が出されたり、集会を疎んじられました。

 

かつては、浜松の中心部でも活発だったようですが、取り締まりを受けて

徐々に衰退していったようです。

そのため取締りが緩やかだった北の農村地帯が生き残ったというのが、

浜北区や磐田市、袋井市の北の方が、今なお遠州大念仏が盛んな理由だと

いうことです。

 

遠州大念仏保存会によりますと、江戸時代の最も盛んな時で約2800あまりの

村々で大念仏が行われていたそうです。

現在は、約70組が保存会に所属しているそうです。

 

遠州大念仏は、1972年(昭和42年)に浜松市無形民俗文化財に

指定されています。

 

遠い昔に思いをはせて、今年の遠州大念仏を見るのも一考では

ないでしょうか?

この記事を書いた人
澤木 規行 サワキ ノリユキ
澤木 規行
三方不動産㈱の澤木です。 社長一人の小さな不動産会社ですが、不動産業に携わって32年間の経験と知識を生かして、皆様のお役に立てるように頑張ります。 「まじめに、一生懸命やること」がモットーです。 収益物件をお持ちの方や土地活用でお悩みの方は、ぜひ一度お問い合わせください! また、不動産を購入しようかどうか迷っている方、 ポータルサイトや他社サイトでも気になる物件がございましたら、お気軽に ご相談ください。

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