ダイダラボッチ伝説 浜名湖
ダイダラボッチの呼び名あれこれ
浜名湖とダイダラボッチ伝説
知らなかった新ダイダラボッチ伝説
ダイダラボッチ(巨人)の伝説は、日本各地にあります。
多くは山や湖沼を作ったという伝承です。
ダイダラボッチを漢字で書くと「大太郎法師」で、一寸法師の反対の意味だそうです。
全国各地で呼び名も、いろいろあるようです。
ウィキペディアによりますと、
「でいだらぼっち」、「ダイランボウ」、「だいだらぼう」、「でいらんぼう」、
「だいらぼう」、「デエダラボッチ」、「デイラボッチ」、「デイラボッチャ」、
「デーラボッチャ」、「デエラボッチ」、「デーラボッチ」
さらには、「レイラボッチ」、「ダダ星」、「おおきいぼちゃぼちゃ」とくると
「なんでもありか?」思ってしまいます。(笑)
浜松の人は、このダイダラボッチが浜名湖を作ったという伝説を、小さい頃に
一度は聞いた話だと思います。
”遠州の山奥に住んでいたダイダラボッチが子供たちを手にのせて歩いている時に、
腰くらいの高さの山をまたいだ拍子に子供たちを手から投げ出してしまった。
びっくりした子供たちとダイダラボッチは泣き出してしまい、手をついてできた窪みに
涙が流れ込んで浜名湖となった。”
(だから、浜名湖は手のひらの形をしていると)
しかし、今回ダイダラボッチのことを調べていて、もっとよくできた?伝説を
見つけました。
それを抜粋してご紹介します。
"秋葉山に、ダイダラボッチという大男が住んでいました。その大きさは、
あぐらをかくと一里(約4キロメートル)四方が毛むくじゃらの足の下に隠れ、
立ち上がると頭は雲の上に突き出るほどでした。
ある日のことです。夕日を受けて光り輝く富士山を見て、自分の住む秋葉山より
高いのがどうにも気に入りません。
「よし、日本一高くて美しい山をここに作ろう」と決心しました。
ダイダラボッチは、大急ぎで周りの山からツタを集めて、土を運ぶ大きなもっこを
作りました。
遠く近江(今の滋賀県)まで土を運びに行き、何度も何度も浜松と近江を往復しました
ダイダラボッチが近江で土を掘った跡が琵琶湖になりました。
一晩中働き続けたダイダラボッチは疲れはて、佐鳴湖のきれいな水を飲もうと
しました。ダイダラボッチは、両足を遠州灘に踏み入れ、右手を佐鳴湖の横につき、
左手を海岸近くについて身をかがめました。すると、左手が地面にめり込み、
手のひらを開いた形の浜名湖ができました。
疲れの取れたダイダラボッチがにぎり飯を食べると、小石が入っていました。
はき出した小石が、できたばかりの湖に落ちると、つぶて島(礫島)になりました。
夜が明けて朝日が昇ると、富士山はいつも通り美しく輝いています。
その一方で、ダイダラボッチが作った山は富士山の影で暗いままです。
ダイダラボッチは、あまりのショックに、かついでいたもっこを放り投げました。
片方のもっこからこぼれ落ちた土は、舘山寺の大草山になりました。
もう片方は足元にこぼれ落ちました。
ダイダラボッチが腹立ち紛れに地団駄を踏むと、こぼれ落ちた土は平らになり、
広い広い野原ができました。こうして三方原台地ができ上がったのです。”
参考文献:児童向け:『読みがたり 静岡のむかし話』静岡県むかし話研究会 編
いかがですか?
中々よくできていると思いませんか?