今日5月11日はなんの日?
日本人がエベレスト初登頂した日
松浦輝夫さんについて
登山家 松浦輝夫さん
本日5月11日は、日本人2人がエベレスト初登頂に成功した日です。
1970年5月11日午前のことです。
この日本人2人とは、植村直己さんと松浦輝夫さんです。彼らが史上25,26番目の
エベレスト登頂者となりました。
もちろん日本人としては初めての快挙でした。
植村直己さんといえば、世界初の5大陸最高峰登頂者、犬ぞりで初めて単独で
北極点に到達するなど多くの国民が知っている登山家・冒険家です。
不幸にも1984年に冬期マッキンリー単独登頂を成し遂げた後、下山途中に
行方不明となってしまいました。その年に国民栄誉賞も受賞しています。
今回はその植村直己さんではなく松浦輝夫さんについて調べることにしました。
松浦さんは、大阪市出身で高校時代はラグビーをやっていましたが、山に登りたいと
いう一心で早稲田大学へ進学します。
1965年31歳の時に、ヒマラヤのローツェ・シャール峰(標高8,383m)に挑戦した
早稲田大学隊に参加し、松浦さんは当時の日本人最高到達高度である8,180mを
記録します。
しかし、隊は遭難者を出したこともあり登頂を断念。
その時松浦さんは、、雪崩に遭った仲間を救出した後、残り少ない酸素、食料で
頂上アタックを開始しましたが「山で遭難は絶対してはならない」との信念のもと、
頂上まであとわずか200m弱のところで撤退することを決断しました。
エベレスト登頂は、松浦さん36歳、植村さん29歳の時です。
このエベレスト登頂の際、植村直己さんは、エベレストの頂上に達する直前で、
先輩である松浦さんに道を譲り、松浦さんを先に頂上に立たせようとしましたが、
これに対して松浦さんは、植村さんと肩を組んで2人同時に頂上に立ったという
エピソードが残されています。
その快挙を伝えた当時の新聞は、松浦さんを「タフで子ぼんのう」、「登山と仕事、
それにマイホームをうまく使い分けるマジメ型」と評しています。
1981年には、早稲田大学登山隊の隊長としてK2(世界第2位8,611メートル)の
登頂にも成功。
K2西稜ルートからの世界で初めての成功となりました。
その後、登山家の第一線からは退き後進の指導と後援活動に努められました。
特にヒマラヤ登山でお世話になったネパールの方々に少しでもご恩返しができるならと
「松浦育英基金」を設立し、AAF(竹中工務店有志)が設立したネパールの学校の
運営資金を贈られていました。
2015年11月6日、白血病と肺炎のため死去。享年81歳でした。