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2021年03月09日
ブログ

那須田又七という人について

那須田又七の功績

どちらが本当?

浜名湖開発の先覚者

舞阪の方ならご存知かもしれませんが、みなさんは「那須田又七」という人を

知っていますか?

 

日本人名大辞典によりますと、明治時代の養鰻家、公共事業家となっています。

公共事業家というものも初めて聞きましたが、、。

また、他のサイトでは海苔養殖の基盤をつくった人となっています。

 

舞阪町にある那須田又七顕彰碑に書かれていますのは、


”那須田家の先祖は豊臣氏に仕えてましたが、大阪の役の後、

舞阪で農業を営むようになりました。


又七は文明4年(1784)の生まれで、子供の時から聡明でした。

勉学に励み、16歳で舞阪宿問屋場の書記になりました。

その後は、村役人、宿役人として長く勤めました。



産業振興に努め、海苔養殖の基盤をつくりました。

飢饉の時には、私費を投じて救済事業を行いました。

その人望と功績により苗字帯刀を許され「袱刀爺爺」と呼ばれました。


寛永3年(1850)66歳でなくなりました。

安政5年(1858)その業績を永く伝えるため顕彰碑が建立されました。”

                          舞阪町教育委員会

「あれ?」明治時代の人ではなかったの?

浜松情報BOOKを見たら謎が解けました。顕彰碑に書かれているのは

那須田又七のおじいさんなんですね?(この祖父から名前をもらっているのです)

 

孫である明治時代を生きた又七の功績は、

浜名湖開発の先覚者として、初めて舞阪町と新居町を結ぶ橋を架けたり、

弁天島で最初の観光事業である弁天島海水浴場を開いたりしています。

 

また、成功には結びつかなかったが、ウナギやスッポンの養殖にも取り組みました。

(のちに服部倉次郎らの手によって事業家に成功しています。)

 

海苔養殖の基盤を作ったのは、おじいさんの方で孫の又七は、浜名湖のウナギ、

スッポン、鯉の養殖を始めた先覚者なんですね。

 

いずれにしても、那須田家の人が現在の浜名湖の基盤を築いたことには

間違いないようです。

孫の又七は、明治33年に59歳で他界しています。
 

 

この記事を書いた人
澤木 規行 サワキ ノリユキ
澤木 規行
三方不動産㈱の澤木です。 社長一人の小さな不動産会社ですが、不動産業に携わって33年間の経験と知識を生かして、皆様のお役に立てるように頑張ります。 「三方不動産に依頼して良かった!」と思ってもらえる仕事を積み重ねて行きます。 不動産の売却や土地活用でお悩みの方は、ぜひ一度お問い合わせください! また、不動産を購入しようかどうか迷っている方、 ポータルサイトや他社サイトでも気になる物件がございましたら、お気軽に ご相談ください。

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