栄冠は君に輝く
「栄冠は君に輝く」にまつわる作詞者エピソードの紹介
作者の思いが歌詞に
例年であれば、今頃は夏の甲子園も佳境に入っている頃です。
しかし今年の夏、甲子園に「栄冠は君に輝く」は流れません。
加賀大介作詞、古関裕而作曲、夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)大会歌は
名曲であります。
私もカラオケで、よく歌う愛唱歌です。
今回は、この名曲にまつわるエピソードをご紹介します。
1948年に学制の改定に伴い、それまでの「全国中等学校優勝野球大会」が
「全国高等学校野球選手権大会」に改称する事になったことにあわせ、更にこの年の
大会が第1回大会から数えて30回目の節目の大会であったことから主催者である
朝日新聞社が新しい大会歌として全国から詞の応募を募りました。
応募総数5,252編中から、最優秀作品に選ばれたのがこの歌詞です。
当初作詞者は高橋道子(結婚後は中村道子)名義となっていました。
これはプロの文筆家地元・石川で執筆活動をしていた加賀(当時の本名:中村義雄)が
周囲から懸賞金(大賞賞金は5万円で、当時の公務員の平均給与の10倍以上)
目当てと思われるのを嫌い、自分の名前を伏せて婚約者の名前で応募したためでした。
長らく作詞者は道子でしたが、20年後の第50回記念大会(1968年)を機に加賀本人が
作詞の真相を語り「加賀大介作詞」と改められたその頃、本名も中村義雄から
ペンネームの1つであった「加賀大介」に改名しました。
加賀さんは、石川県根上町(現能美市)出身で、野球少年でした。
しかし、16歳の時、試合中の怪我による骨髄炎のために右足の膝から下の切断を
余儀無くされ、野球を断念せざる得なくなりました。
2番の歌詞 「風を打ち 大地を蹴りて、、」は、かなわなくなった加賀さんの夢を
若者に託す熱い想いが伝わってくるようです。
加賀さんは、1973年、58歳で亡くなりました。
その翌年に、同じ根上町で、あの松井秀喜が誕生するのは、何かの因縁でしょうか?
高校野球を愛した加賀さんですが、なぜか一度も甲子園を訪れることはなかったと
いいます。
雲は湧き 光あふれて
天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ
若人よ いざ
まなじりは 歓呼に答え
いさぎよし 微笑む希望
ああ 栄冠は 君に輝く
風を打ち 大地を蹴りて
悔ゆるなき 白熱の力ぞ技ぞ
若人よ いざ
一球に 一打に賭けて
青春の 讃歌を綴れ
ああ 栄冠は 君に輝く
空を切る 球の命に
通うもの 美しく匂える健康
若人よ いざ
緑濃き 棕櫚の葉かざす
感激を 目蓋に描け
ああ 栄冠は 君に輝く