浜松市の初代市長とは?
浜松市の初代市長は、こんな方です。
初代市長の功績
初代浜松市長 鶴見信平氏
今回は、初代の浜松市長について調べてみました。
初代の浜松市長は、鶴見信平( つるみしんぺい)氏です。
誕生地 現:浜松市東区半田町
生年 1848(嘉永1)年
没年 1914(大正3)年
任期 1911(明治44)年7月1日~12月19日
生涯
1848(嘉永1)年10月10日長上郡半田村(現:浜松市東区半田町)に小杉家の次男と
して誕生した後、伝馬町の老舗旅館「大米屋」鶴見家の養子となりました。
明治22年から町会議員、名誉職助役を経て、明治38年から明治44年の
市政施行前日まで町長をしていました。
1893(明治26)年浜松商業会議所(今の浜松商工会議所)初代会頭、浜松貯蓄銀行
設立、浜松米穀取引所理事長、浜松信用組合役員などを務め浜松経済界の発展に
貢献しました。
1910(明治43)年、浜松は3万5千人の人口を超え、市制施工条件が整ったことから
浜松市が発足。
それと同時に鶴見町長が市長となりました。
静岡新聞びぶれ(2011年7月14日掲載)から抜粋しますと
町長時代の鶴見は鉄道院浜松工場の誘致運動に努め、伊場を候補地に、北方の
丘陵地を切り崩し埋め立て工事を急ぎました。
しかし国から建設中止の知らせが届き町民は落胆。
ところが、鶴見は明治42年1月に町民大会を開き復活運動を開始。
2月に町民200余名を上京させ、桂首相や政友会の幹部に陳情を繰り返したのです。
その結果、浜松工場の設置が決定すると町民は狂喜し、陳情委員の帰浜時には
浜松駅は歓迎の町民で身動きが取れなかったといいます。
大正元年11月1日、鉄道院浜松工場は操業開始。
40mの大煙突から上る黒煙に市民は目を見張りました。
鶴見は村櫛の開拓にも尽力し広大な養魚池も造成。
村櫛の村民は鶴見に感謝し、亡くなった2年後の大正5年にその功績を記した
記念碑を村内の水神社境内に建てたのです。
「性は寛忍、意は剛毅」とその人柄も記しています。
市長退任後まもなく病に倒れ、1914(大正3)年1月22日67歳で死去。
墓は鹿谷の善正寺にあるそうです。