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2020年08月12日
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浜松市の初代市長とは?

浜松市の初代市長は、こんな方です。

初代市長の功績

初代浜松市長 鶴見信平氏

今回は、初代の浜松市長について調べてみました。

初代の浜松市長は、鶴見信平( つるみしんぺい)氏です。
 
誕生地 現:浜松市東区半田町
生年  1848(嘉永1)年
没年  1914(大正3)年
任期  1911(明治44)年7月1日~12月19日
 
 

生涯
1848(嘉永1)年10月10日長上郡半田村(現:浜松市東区半田町)に小杉家の次男と

して誕生した後、伝馬町の老舗旅館「大米屋」鶴見家の養子となりました。

 

明治22年から町会議員、名誉職助役を経て、明治38年から明治44年の

市政施行前日まで町長をしていました。


1893(明治26)年浜松商業会議所(今の浜松商工会議所)初代会頭、浜松貯蓄銀行

設立、浜松米穀取引所理事長、浜松信用組合役員などを務め浜松経済界の発展に

貢献しました。

 

1910(明治43)年、浜松は3万5千人の人口を超え、市制施工条件が整ったことから

浜松市が発足。

それと同時に鶴見町長が市長となりました。

 

静岡新聞びぶれ(2011年7月14日掲載)から抜粋しますと

町長時代の鶴見は鉄道院浜松工場の誘致運動に努め、伊場を候補地に、北方の

丘陵地を切り崩し埋め立て工事を急ぎました。

 

しかし国から建設中止の知らせが届き町民は落胆。

ところが、鶴見は明治42年1月に町民大会を開き復活運動を開始。

 

2月に町民200余名を上京させ、桂首相や政友会の幹部に陳情を繰り返したのです。

その結果、浜松工場の設置が決定すると町民は狂喜し、陳情委員の帰浜時には

浜松駅は歓迎の町民で身動きが取れなかったといいます。

 

大正元年11月1日、鉄道院浜松工場は操業開始。

40mの大煙突から上る黒煙に市民は目を見張りました。

 

鶴見は村櫛の開拓にも尽力し広大な養魚池も造成。

村櫛の村民は鶴見に感謝し、亡くなった2年後の大正5年にその功績を記した

記念碑を村内の水神社境内に建てたのです。

 

「性は寛忍、意は剛毅」とその人柄も記しています。


市長退任後まもなく病に倒れ、1914(大正3)年1月22日67歳で死去。

墓は鹿谷の善正寺にあるそうです。

 

この記事を書いた人
澤木 規行 サワキ ノリユキ
澤木 規行
三方不動産㈱の澤木です。 社長一人の小さな不動産会社ですが、不動産業に携わって33年間の経験と知識を生かして、皆様のお役に立てるように頑張ります。 「三方不動産に依頼して良かった!」と思ってもらえる仕事を積み重ねて行きます。 不動産の売却や土地活用でお悩みの方は、ぜひ一度お問い合わせください! また、不動産を購入しようかどうか迷っている方、 ポータルサイトや他社サイトでも気になる物件がございましたら、お気軽に ご相談ください。

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