「仏の顔も三度まで」の由来について
仏の顔も三度までの正式な意味は?
この言葉の由来について
こんな物語(?)があったとは?
「仏の顔も三度まで」ということわざを聞いたことがあると思います。
「どれだけ温厚な人でも、無礼を繰り返せば腹を立てる」という意味ですが、
元々の言葉は、
「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」という言葉で、これを略した言葉が
「仏の顔も三度まで」だそうです。
ということは、もともとの意味は、三度までは怒らないということではなく
「三度めは、怒りますよ!」ということになります。
では、なぜ三度なのでしょうか?
その理由を、「言の葉手帳」というHPから見つけました。
以下は、そこからの抜粋です。
仏様(お釈迦様)は、名をゴータマ・シッダールタといい、今のインドの一部である釈迦(シャーキャ)国という小国の王子として誕生しました。
隣国にコーサラ国という大国があり、コーサラ国の王様は、釈迦(シャーキャ)国に自分の王妃となる身分の高い女性を要求しました。
しかし、釈迦国は、力に物を言わせるコーサラ国の王にたいし不快感を持ち、身分の低い女性に身分を偽らせて、コーサラ国の王に嫁がせてしまったんです。
コーサラ国の王と釈迦国の本当は身分の低い女性との間に生まれた王子は、釈迦国に留学をしました。
当時のインドではカースト制度という身分制度が非常に厳しいところでした。
身分の低い女性から生まれたコーサラ国の王子のことを釈迦国の人たちは、差別的な行動をとってしまいました。
そのことから、釈迦国が身分を偽った女性を自分の母にしたと知り、コーサラ国の王子は釈迦国を滅ぼすことを誓うのです。
やがて、コーサラ国の王子が王となり釈迦国を滅ぼすべく、出兵していくのです。
迦国の王子であった、お釈迦様は、説法をもってコーサラ国の王を引き返させます。
しかし、コーサラ国の王は王子のときに釈迦国の人たちから受けた差別的な行動を許すことはできませんでした。
二度、三度と出兵しましたが、そのたびにお釈迦様によって、出兵を断念しました。
しかし、四度目の出兵には、お釈迦様も「因果応報」であると、出兵を止めることを止めてしまい、釈迦国は滅びてしまったという事です。
いかがです?仏様の悲しい物語が、このことわざにあったのですね?
他のサイトにも、似たような物語があり、若干ニュアンスも変わってたりも
していましたが、こちらのサイトのお話が一番物語性がありましたので、
こちらを引用致しました。
このエピソードは、3度めまで許されているから、「仏の顔も3度まで」と
いう表現になったのでは?という説もありますが、本当のところはわかりません。