プロ野球球団トンボユニオンズって?
なぜ1年間だけトンボユニオンズ?
個人球団髙橋ユニオンズとは?
野球史に消えた悲劇の球団とは?
プロ野球開幕戦以降、阪神タイガースは目も当てられない悲惨な状況に
陥っていますね。
そんな中、昨日のデイリーからのヤフージャパンニュースの記事を読みました。
以下一部抜粋です。
”前代未聞の史上最低勝率 これまでのプロ野球史で勝率・067は前代未聞の
最低勝率(・000を除く)。
これまでは55年・トンボが14試合消化時点(1勝13敗)、79年・西武が
16試合消化時点(1勝13敗2分け)で記録した・071だった。
さらに付け加えると16試合消化時点の借金13もプロ野球史上ワースト。”
まあ阪神のワースト記録のことには触れないで、私の目にとまったのは、
この「トンボ」という言葉でした。
「トンボって、トンボ鉛筆のトンボ?」
そこで調べてみますと、確かに1955年のたった1年間だけトンボユニオンズという
球団名があったのです。
これは、1954年から56年までの3年間だけ活動したパ・リーグのプロ野球球団の
髙橋ユニオンズが、55年にトンボ鉛筆と業務提携し、球団名をトンボユニオンズに
変えたものでした。
この髙橋ユニオンズというのは、戦前は大日本麦酒(現在のサッポロビールとアサヒ
ビールの前身)の社長を務め、戦後は日本商工会議所の会頭、参議院議員、通産大臣
などを歴任した高橋龍太郎氏の実質個人オーナーのような球団です。
法人としての名称は株式会社高橋球団。
80年を超える長いプロ野球の歴史にあって、1954年と56年の2年だけ、個人の名前を
冠したチームがあったのです。
誕生の経緯やその後の顛末は、2020年10月2日の週刊ベースボールオンラインの
以下の記事をお読みください。
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20201002-12
過渡期のプロ野球も、いろいろとあったのですねー。
結局、トンボユニオンズは、42勝98敗1分、覇者の南海と57ゲーム差という歴史的な
大敗を記録して幕を閉じたのだそうです。