1月11日は、「塩の日」
なぜ「塩の日」ということになったのか?
盛り塩の由来は?
上杉謙信「敵に塩を送る」
本日1月11日は、「塩の日」なのだそうです。
なぜ塩の日かといいますと、「敵に塩を送る」という言葉で有名な「上杉謙信」が
交戦中の武田信玄の領民に塩を送った日にちなんで定められたということです。
1568年、武田信玄はそれまで同盟関係だった駿河の今川氏真を攻めました。
武田氏の領地であった甲斐と信濃は内陸だったため、塩を含む海産物などは今川氏の
駿河方面から運び込んでいましたが、この争いが始まってからは、今川氏が商品の
流通をストップし、武田氏はなかなか塩が手に入らなくなりました。
現代でいう「経済制裁」ですね?
そんなとき、上杉謙信が「信玄と争うところは、弓箭(きゅうせん・いくさ)にある。
米や塩ではない」として越後からの塩の流通をとどめないように命じたと伝えられて
います。
そして、1569年1月11日に武田信玄の領地である松本藩領(現在の松本市)に到着した
ことから、それを記念して、「塩の日」が制定されたということです。
これが、江戸時代の学者、頼山陽によって有名となった「敵に塩を送る」ですが、
実際に行われたかどうかは定かではないようです。
これを調べていたら「盛り塩」の由来を見つけましたので、ついでに載せておきます。
伯方の塩さんのHPからの抜粋です。
”これは、中国の歴史書「資治通鑑(しじつがん)」に記載されている話なのです。
中国の皇帝の後宮は美妃三千人と言われる状態で、皇帝は夜毎、羊車に乗って妃を
訪ねます。
ある妃が一計を案じ塩を玄関に盛っておくと、羊はその塩にひかれ屋敷の前に止まって
しまいます。
この故事にちなんで、来てほしい人を招き寄せるおまじないとして玄関に塩を
盛るようになったといいます。”
これが引き継がれ現在では、料亭などで見かける人寄せのための縁起担ぎとしての
盛り塩だそうです。
ただし、諸説あるようですので、真偽はわかりません。